駒込・巣鴨・板橋散歩
     
 
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地図を見ると旧中山道が日本橋から国道17号線の沿って板橋方面へ続いている。

久しぶりの大江戸散歩だが、今回は駒込、巣鴨から板橋宿まで歩いてみた。

山手線駒込駅で下車し、本郷通りを南に進み六義園の染井門まで来ると、通常は閉じているらしく正門へ向かった。

老中柳沢吉安が徳川将軍綱吉から拝領した地に庭園を築園したのが始まりで、しばらく蓬莱島、渡月橋など散策して染井通りを進むと染井霊園がある。
 
 新幹線から富士山   六義園正門 
     
 六義園 田鶴橋 六義園 
     
 六義園  渡月橋 内庭大門 
 
 管理事務所で案内図をもらい霊園に入って行くと、ここには二葉亭四迷、岡倉天心、高村光太郎など有名人の墓が多い。

慈眼寺には谷崎潤一郎、芥川龍之介の墓が、本妙寺には遠山金四郎や千葉周作の墓があった。

巣鴨地蔵商店街の入口に出ると、「眞性寺」がある。

奥の巣鴨庚申堂に向かってズラリと続いているのが「おばあちゃんの原宿」として有名な巣鴨地蔵通商店街で、今日は地蔵の縁日4の日にあたり、うわさどおりやけに高齢者が目立つ。
 
 吹上茶屋   菊懸崖 
     
 慈眼寺  芥川龍之介墓 谷崎潤一郎墓 
     
 千葉周作墓 遠山金四郎墓  本妙寺 
   
200mも行った先の「高岩寺」は「とげぬき地蔵」として知られ大変な賑わいだ。

塩大福の「みずのや」、佃煮の「佃宝」、「八つ目やにしむら」、「巣鴨ときわ食堂」など雰囲気ある商店が並んでいる。商店街を抜けると「巣鴨庚申塚」がある。

江戸時代には茶店もあった。旧中山道を板橋へ向かうと埼京線・板橋駅東口に近藤勇の墓がある。

側に
近藤勇、沖田総士らと池田屋に突入奮戦し、大正4年77歳まで長生きした永倉新八の墓もあった。
 
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 眞性寺菊人形  巣鴨地蔵通商店街入口 地蔵通り 
     
 塩大福すがも園 高岩寺  とげぬき地蔵 
   
「新撰組永倉新八外伝」の著者 杉村悦郎氏は永倉新八のひ孫さんにあたり、現在札幌に住んでおられる。

この先が中山道第一番目の宿場・板橋宿で、江戸期の旅人は「お江戸日本橋七つ立ち・・・・」と謠にあるように早立ちが普通だったようで、板橋辺りで昼食を摂ったとある。

かっては50軒程の旅籠があって賑わった所だ。

不動通りの商店街に入り、銭湯花の湯の手前を右に入って行くと「平尾脇本陣跡」の碑があった。
 
 マルジ赤パンツ   マルジ赤パンツ 
     
 メリヤス屋  近藤勇墓  新撰組永倉新八墓
     
 板橋宿平尾町脇本陣跡地 巣鴨庚申堂 板橋宿本陣跡碑 
 
すぐ近くに板橋宿本陣跡の碑もあった。

巣鴨駅まで戻り、白山通りを歩いていると、ローソンの前で明治30年に巣鴨に移り住んだ徳川慶喜巣鴨屋敷跡の碑を見かけた。

この後、八重洲北口1F・キッチンストリートに入り「味の牛たん喜助」で早めの夕食を摂り帰宅。
 
 板橋宿入口    徳川慶喜巣鴨屋敷跡碑
     
板橋  復元されたドーム天井  東京駅 
     
東京駅  東京駅構内  ドーム天井